非認知能力を高めることこそ、これからの時代に必要な教育


これからの教育システムについて考えます!
私たちが受けてきた義務教育は、本当に子供たちの未来にとって最適なものなのでしょうか?
たとえば、いきなり車の修理の知識を押し付けられ、工具を持たされたとしても、
目的地が決まっていなければやる気は生まれない。
本来、学びとは以下のような順番で進むべきではないだろうか?
1. 説明できないわくわく
2. 目的地を選ぶ
3. 地図を描く
4. 乗りたい車を選ぶ
5. 必要な知識や技術を学びたくなる
しかし、現実の教育はこの順番が逆になっています。
みんな同じ目的地、同じ車で競争させる教育の矛盾
現在の教育は、みんなが同じ車に乗り、
同じ目的地を目指すことを前提としている気がします。
さらに、その道中で速さを競わせ、優越感や劣等感を植え付ける。
本来、勉強とは「自分の目的を達成するために必要なことを学ぶ」ために行うもの。
しかし、現状では「与えられた課題をこなすために学ぶ」ことが目的になってしまっています。
今の教育システムでは、年齢ごとに学ぶ内容が決められているが、それは子供たちの成長や個性を無視した仕組みともいえるのではないでしょうか。
なぜ一律のカリキュラムが必要なのか?
それは 大人が統率しやすいから。
子供たちがバラバラの目的地を持ち、それぞれ異なる学びを進めると、統制が難しくなる。
すると、既存の権力構造が揺らぎ、社会の管理が難しくなる。

実際、そうですよね。先生の立場からすると、一人一人の個性は少し面倒でもある…。
そのため、義務教育は「管理しやすい」形で設計され、
結果として 自分で考えない、指示を待つサラリーマン的思考の子供たちを生み出すことになる。
そして、この構造が格差を生む要因の一つにもなっている。
それぞれの目的地が違うのであれば、学ぶ内容も異なるべき。

それが理想なのはみんな分かっている。
しかし、何も知らない子供たちにいきなり「目的地を選べ」と言っても、それは難しい。
だからといって、全員を同じ目的地に向かわせるのも違う。
では、大人にできることは何か?
• 子供たちに多くの可能性を伝えること
• 自分に問いかける方法を教えること
• 真の目的地を探すための能力を高めること
つまり、「何を考え、どう行動するか」を学ぶ前段階の
ゼロステップ教育 が必要なのではないでしょうか?
歴史を振り返ると、人間は常に「必要性」から学びを深めてきました。
たとえば、原始人は食料を得るために
• 自分より大きな動物を仕留める道具を開発した
• 作物を育てる技術を発見した
現代の子供たちには、このような 強烈なビジョン を持つ機会が圧倒的に少ない。
なぜなら、今の社会は手軽に欲求を満たせる仕組みになっているからです。
満たされているはずなのに、常に不足感を感じる。
それは 「本当にやりたいこと」がわからないから
ではないか?
そして、AIの進化によって認知機能の多くが代替可能になれば、ますます人々は無気力になる。
だからこそ、 非認知能力(思考力・創造力・自己対話力など)を高める教育が必要 なのだと感じます。
これからの教育に求められるのは、単なる知識の詰め込みではなく、
「自分は何をしたいのか?」を問い続ける力を育むこと 。
そのために必要なこと
1. 子供の好奇心を刺激し、多くの可能性を見せる
2. 「なぜ?」を考え、自分の言葉で表現する力を養う
3. 失敗を恐れず挑戦する経験を積ませる
つまり、 非認知能力を高めることこそが、
これからの時代に必要な教育 なのであります。
• 現在の教育は「目的地なき学び」を強いている
• 学びは「わくわく→目的地→地図→方法の選択→知識習得」の順番
• 年齢ごとのカリキュラムは統制しやすいが、可能性を狭める
• AIの進化により、知識だけでは価値を生みにくい時代になる
• これからは非認知能力(創造力・思考力・自己対話力)を高める教育が重要

知識よりも好奇心を育てる。
カッコいい大人の背中が一番の教育かも!