ことば貯金

④運命を受け入れる

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コワラ
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いつか子供に伝えたいことを発信しています!

うさぎさん
うさぎさん

あなたのことを大切に想ってくれている人からの言葉。

そんなふうに読んでみてね。

人生って思い通りにならないことがたくさんある。

どうして自分がこんな目にって思うほど、想像もしてなかったことが突然起きたり。

望んでも望んでも、簡単に見える幸せがなかなか手に入らなかったり。

人生に絶望したって、明日はやってくる。

誰かを責めたって自分が辛くなるだけ。

自分の心をどこに置けばいいのか。

分からなくなる。

そんな時。【運命】というのはとても便利な言葉。

解釈の仕方次第で、プラスにもマイナスにもなる、不思議な言葉。

とてもあやふやなのに、世の中で普通に使われてる言葉。

運命の人、運命の出来事、運命の選択。

でも、運命って何?

私なりの解釈が君の人生のお守りになってくれたら嬉しい。

今回はそんなお話。

運命の解釈は人それぞれ

あなたは運命という言葉にどんなイメージがありますか?

人生で起こる出来事は全て決まっている?

運命という言葉にそんな漠然とした意味を感じる方は多いのではないでしょうか。

もちろん、本気でそのように信じて人生を生きている人は少ないかもしれません。

無宗教の人が多い日本人ならなおさら。

じゃあみんなはどんな場面で運命という言葉を使うのでしょう。

それはきっと、自分の力ではどうしようもない出来事に遭遇した時なんです。

良いことも悪いことも。運命という言葉にはどこか諦めにも似た清々しさがあります。

運命ならば仕方ない。

前向きにそう考えると心が楽になることもあります。

でも運命を悲観的に捉える人ならば。

自分はこの程度だ、何も変えられない。と逆に辛くもなります。

はたして運命は決まっているのか?

運命を変えることは出来ないのか?

正解なんてきっとない。

腑に落ちた考えこそが、その人にとっての答え。

私なら、心が楽になる方を選びたいです。

そんな私が思う、運命とは。

【自分が作り出したストーリー】

なのではないかと。

ゴリさん
ゴリさん

どゆこと?

続きをどうぞ。

人生という映画

簡単に言うと運命って、人生の脚本みたいなものだと思うんです。

人生を一本の映画だと考えてみてほしい。

行き当たりばったりの映画なんてないですよね。

あらかじめ全てラストシーンは決まっている。

そのラストに向かって物語が作られている。

もしあなたが自分の人生を嘆いているとしたら。

自分は役を演じているだけなんだ。

このような考えを持ってみてはいかがでしょう。

運命を受け入れるってことは、自分の人生という映画を客観的に眺めるようなものではないかと思います。

そして、みんなそれぞれ観ている映画は違う。

あなたは思うかもしれない。自分の映画がつまらないと思い始めたとき、隣の人の映画を少し覗き込む。そこには、とても素敵な映像が映っている。

「いいな、羨ましい」

でも自分は目の前のつまらない映画を見続けなければいけない。

冴えない主役を演じ続けなければいけない。

がっかりしながらも、これが自分の与えられた映画(運命)なのだと諦めて退屈な展開をぼーっと眺める。

時には、「なんでこんなこと」とか嫌になるような展開もあるかもしれない。

じゃあ結局運命は変えられない?

いいえ、実はそうではないんです。

あなたは観客であって、主人公でもある。

あなたが好きな映画を思い浮かべてください。

その映画の主人公はどんな性格でしたか?

どんな行動をしていましたか?

最後がハッピーエンドならそれに繋がるそれなりの考え方や行動、きっかけがあるはず。

何の脈絡もなしに結末までたどり着く映画なんてありません。

結果には何かしらの過程があるはずなんです。

運命を悲観的に考えていると、当然その物語のラストシーンもそれなりの悲しい結末を迎えることになる。

つまりあなたがポジティブな考え、行動を続けているならそれに伴う結末に繋がるということです。

でも、脚本はあらかじめ決められてるんじゃないの?

と、思われるかもしれません。

たしかに演者が脚本を書き換えることはできません。

でも実際、自分の思考は自由です。

主役の性格、行動で結末が変わるとしたら。

自分の考え次第で、用意される脚本は無限にあるということになります。

うさぎさん
うさぎさん

そもそも脚本って誰が決めてるの?

この映画の監督、脚本家は誰なのか。

そこがポイントです。

これを神様だとか漠然としたものに責任を丸投げすると、もし嫌なことが続いたとき苦しくなります。

人のせいにしない。これは幸せな人生を生きる上でかなり重要な考え。

だから私は、この映画のストーリーを描いたのも自分自身なのではないかと思うんです。

人生という映画。

主演、監督、脚本、観客、全部自分。

でもそんなわけない、そう思うのも無理はない。

人生には自分でコントロールできることと、できないことがあるから。

明日の天気すら分からないのに、全て筋書き通りなんて言われても、納得できませんよね。

そんな時私はこう考えます。

そもそも自分が納得できることなんてたかが知れてるじゃないかと。

明日の天気は分からない。

そして、世の中にはたくさんの分からないことがある。

どんなに多くの時間を費やして勉強したとしても理解できることは、分からないことに比べたらほんとにわずかしかない。

この世に生まれた理由を正確に答えられる人はいないでしょう。

死後の世界を語れる人はいないでしょう。

この世には理解を超えた何かがたくさん存在している。それだけは確か。

つまり自分の意識でコントロールできることなんてたかが知れてるんです。

意識できないことを無意識と名付けたら。

自分の世界を作ってるのは意識している自分と、それよりはるかに大きな無意識ということになります。

そして、人生という映画の主役と観客は意識している自分。

監督、脚本は無意識さん、ということにしてみたら?

少しは納得できるのではないでしょうか。

次の展開を考えるのは自分が意識できない自分。

監督が演者に台本を見せないなんてことは現実ではありえないと思いますが、私達が観ている人生という映画に関してはそういうことなんじゃないでしょうか。

自分が主役だけど、先の展開が分からない!

これでは、不安になるのも無理はないですよね。

でも、私は思うんです。

もし先の読めない映画の世界に突然入り込んだとしたら。もはやそれは演技ではなく現実なのではないか。監督はそんなリアルを常に求めてる。

そして、主役である自分も観客の1人として、ネタバレなしで映画を最大限楽しんでもらいたいからなのではないかと。

さらにもうひとつの理由。

脚本は常に変わる可能性があるから。

途中でストーリーが変更するなんて演者からしたら困りますよね。

でも最初から脚本が知らされてないのなら、何の問題もありません。

これは監督の粋な計らいなのでは。

「ハッピーエンドを望むならそのためのストーリーを新たに用意するよ。」

監督はそう言ってくれてると私は思います。

何の根拠もありません。

でもその方が楽しいやん。

「脚本は譲れないけど、結末だけは考えてね。」

明日の天気もわからないけど、結末はきっと良い感じ。

そう考えるだけで、人生が楽しくなるでしょう?

私は、何か嫌な出来事に遭遇したとき、これが良かったと思える展開を想像します。

自分ならどんな映画を観たいか考えるんです。

大事なデートの日に大雨が降ったとしたら。

その雨のおかげで2人の距離がさらに縮まる出来事が起きるんじゃないか。

そう考えると、そのような展開に備えて雨だからこそ楽しめるスポットに移動したり、雨の日に合う曲を流したり。

雨が降って良かったと思えるストーリーを自然と探し始めるんです。

運命に備える。監督のどんな要望にも答えられるように。

それでも監督は予想の斜め上の展開を用意することもありますが、それはそれで楽しい。

この出来事はどんな意味があるのだろう。

これが自分の描く結末の伏線になっているのかもしれない。そのように自分の人生を観客の視点で考える。

現状に悲観しても良いことは何もありません。

それどころか、監督は悲しいストーリーがお好みなのかと、脚本を書き換えてしまうことだってあります。

楽しい映画が観たいなら、ただただ楽しめばいい。悲しい展開が来たとしても、ここで泣かせておいて、最後は幸せになるんだな。って安心して眺めてみたらいい。

運命を受け入れるとはそういうことのように感じます。

これが運命の正体だとしたら。

愚痴でも諦めでもない。

運命に良いも悪いもない。

だって結末を決める権利は自分にあるんだから。

運命はただそこに向かう手助けをしてくれているだけ。

ときにはドラマチックに人生を彩ってくれる。

だから自分はただ最高の結末を思い描けばいい。

そして、そこに向かうまでの展開をワクワクしながら演じていく。

私はそれこそが最善の方法だと思うんです。

なんとなく私のイメージが伝わったでしょうか。

でも日々の暮らしにどう活かしていくか、少しわかりづらいですよね。

具体的にどうしていけばいいか、考えていきましょう。

コントロールできることに意識を向ける

意識と無意識をこう言い換えてみます。

意識はコントロールできる自分。

無意識はコントロールできない自分。

日常では自分でコントロールできないことに意識を向ける必要はないです。

だってそれは理解を超えた現象なのだから。

海とか山とか。何でそこにあるのかなんて誰にもわからないし、考えることもしないでしょう。

ただ受け入れる。それだけ。

人間って思い通りにならないことに対して怒りを感じやすいですよね。

他人は変えられません。感情も自然と湧き上がるものです。明日の天気とか、過去の出来事とか、そういうものって受け入れるしかないんです。

分かっていても難しいんですけど。

子育てとか部下の教育とか。

怒りたくなくても怒らなきゃいけないときもあるから。

意識したくなくても意識しなくちゃいけない状況はあるから。

でもそういうときこそ自分ではどうにもならないことになるべく意識を向けない。これをまず徹底する。

そして、自分にコントロールできることは何かを常に考えるようにする。

そうすることで毎日が少し楽に生きられると思います。

山を登るとき、大変だからと言って山の地形を変えようとはしません。

海を泳ぐとき、自分に合わせて波が変化するなんてことはありえない。

自然相手には自分を変えようと努力するのに、人間相手となると相手を変えようとしてしまうのはどうしてでしょう。

具体的な例を少し書いておきます。

職場や家庭、学校など多くの悩みは人間関係が原因です。

だからそういう時こそ自分に意識を向ける。

自分の行動や気持ちだけが自分で決めることができるんです。

退社、離婚、退学。極端な選択ですが、どうしても今の環境が嫌ならばそこから離れるということもできます。

金銭的な問題やタイミングなど様々な事情でそれができないとしても、最終的に離れないと選択するのも自分自身。

コントロールできるはずの自分自身が選んでそこにいるのだから。

今の自分の環境を運命だと嘆いている人がいたらそれは違うんじゃないかということです。

あくまで運命とは自分の意識を超えた存在。なので自分で変えられることはどんどん変えていかなければいけない。

それを運命だとすることは自分の意志を放棄しているだけのこと。

とにかくやれることは全てやらなければいけないのです。

人間関係でコントロールできることは距離をおくこと以外にもあります。

それは自分の考えを変えることです。

そもそも物事に良いも悪いもない。

それは自然も人も同じ。

雨でも晴れでも曇りでも「今日は良い天気」

それは自分の解釈が決めること。

自分が嫌だと思ってる人も、人によっては良い人だったりする。

どうしても嫌いな人がいるならば捉え方を変えてみるのも一つの手段です。

近くで見る山に何も感じなくても、眺める位置を変えれば夕日が綺麗に見えるポイントが見つかるかもしれない。

反面教師という言葉があるように、どんなことからでも学べることはあります。

自分とは違う価値観に触れることで自分の成長に繋がるかもしれません。

じゃあ人間関係でコントロールできないこととは何か。

例えば相手の性格は変えられません。他人の気持ちも自分ではコントロールできない。そこに意識を向けている限り悩みはなくならないんです。

それはもう運命。だから気にする必要はない。

相手がどう反応するかは監督の脚本次第なんです。

それはあなたのせいじゃない。

自分を好きになってもらいたいとか、自分の言動で相手がどんなことを思ったのかとか。

そういう気持ちで誰かと接して、相手の反応で一喜一憂する。誰もが一度は経験あると思います。

淡い恋心など、その程度なら微笑ましい思い出ですが、度がすぎると心身が疲弊してしまいます。

他人の気持ちを考えましょう。思いやりを大切に。など小さな頃よく言われたと思います。

たしかにそういう気持ちはとても大事です。

でも、結局は他人の気持ちは分からないものだと思いませんか?

本当の意味で全て分かり合える人っているのでしょうか?

冷たい言い方かもしれませんが、優しさとか思いやりって結局は自己満足なんじゃないかとも思います。

同じ出来事に対して、全ての人が同じ反応をするとは限らない。100人中99人が感謝することでも残りの1人はとても傷ついてしまうかもしれない。

公衆トイレを使うとき、次の人が喜ぶからと毎回トイレを掃除してトイレットペーパーを三角折りにして出ていく人がいるとしても。

人によってはトイレットペーパーが使いづらいと嫌な気持ちになるかもしれない。

そんな時間あるならすぐに出てほしいと外でイライラしながら待ってるかもしれない。

他人の気持ちは決して分からない。

だからそこに意識を向けすぎてはいけないんです。そこに正解はないのだから。

自分が正しいと思う行動が取れたならそれでいい。それで誰かが傷ついたとしてもそれは自分のせいなんかじゃない。

人間関係ではそういう割り切った考えが必要なんだと思います。

相手の気持ちをコントロールできないなら、自分の行動や言動、考え方だけに意識をむける。

それで大半の悩みはなくなるんじゃないでしょうか。

他にもスポーツの大会や受験などでわかりやすく説明すると。

この場合、コントロールできる自分とは。

試合や試験に向けてひたすらに努力することです。

しかし、当日の天気や対戦相手、試験問題。そういったことは自分ではコントロールできない。

【人事を尽くして天命を待つ】という言葉がありますが、まさにその通り。

やれるだけのことをやったのならそれでいい。

もう後は運命なんです。

試合に勝とうが負けようが、試験に受かろうが落ちようが。

その先のゴールに幸せなものをイメージしている限り、自分は正しい道を歩んでいるのだと信じることです。

それが私の思う、運命を受け入れるということなんです。

決断に間違いはない

無意識の自分が用意した展開、すなわち運命を信じる。

これを腑に落としたとして。

悩みは全て消えるでしょうか?

答えはNOです。

だって普段の意識している自分が選択したことが全て正しいとは限らないですよね。

全ての努力は報われる?

これは運命の導きだと思って進んだ道が実は自分の勘違いだったら?

そういう不安はきっとなくならないでしょう。

退社や離婚するべきなのか。

それともこのまま続けるべきか。

自分でコントロールできるとはいえ、人生を左右する決断です。

それこそ運命に丸投げしたくなります。

でも結論から言うと、あなたが選んだ答えはきっと正しい。

というより、あなたがその道を正しいと信じるのなら、そのように人生は展開していくのです。

逆に自分の選択にいつまでも後悔や不安がつきまとうのなら。そのような結末になってしまうのです。

退社にしろ離婚にしろ、決断に間違いはない。

迷いが残るならやめるべきです。

ときには明らかに後悔するような選択もあるでしょう。

でもその過去はもう運命に変わっている。

意識でコントロールできるのはいまこの瞬間。

過去の運命をどう捉えるか。

未来にどれだけ幸せなイメージができるのかそれが全て。

選んだ道が失敗だったとしても、捉え方次第で未来の展開はいくらでも変わる。

「やらないより後悔よりは良かった」

「この失敗が成功に繋がる」

人生が上手くいく人というのは、上手くいく展開を常に選んでいます。

その選択はコントロールできる。

今からでも遅くはない。

大逆転の結末を描いて、その未来にふさわしい行動を選択していく。

ときには自分の力ではどうしようもないこともあるでしょう。

しかし、運も実力のうちというように、あなたの熱意が監督に伝わったとき、新たなストーリーが生み出される。

よく天候が味方してくれたとか、奇跡の偶然とか。そういうのが起きるのは、自分の想いとストーリーがシンクロしている状態なんでしょう。

抽象的なアドバイスですが、とにかく自分を信じるしかない。

決断する瞬間は自分でコントロールできますが、その1秒後にその決断は過去のものになります。

過去の事実は自分でコントロールできません。

だからもう意識を向ける必要はないのです。

大事なのはいつでも今に意識を向けること。

大丈夫、運命はいつだって今の自分に味方してくれます。

終わりに

運命は自分次第でいくらでも変えられる。

というより、ラストシーンが変われば自然とそれまでの物語も書き換えなきゃいけない。

だから君はできるだけ最高のラストシーンをイメージするだけでいい。

そこに辿り着くまでの物語はもう1人の自分がきっと上手く描きあげてくれる。

そしてときには自分が観客の一員であることを思い出してみるといいんじゃないかと思う。

きっとうまくいく。

君がハッピーエンドを望むなら。

毎日の展開を感謝して受け取る。

ときには受け入れられないこともきっとある。

全てを無理やりポジティブに捉えようとしなくていい。悲しいときは泣けばいいし、怒りたい時は怒る。

感情は運命。意識ではコントロールできないもの。だから受け入れるしかない。

でも神様は乗り越えられる試練しか与えない。という言葉があるように。

どんな出来事にも意味があるって思えば見えてくるもの。

感情と思考は別もの。

思いっきり感情を受け入れたあと、ゆっくりと時間をかけて思考をコントロールしていこう。

先に「ありがとう」って言っちゃえば、「何でありがとうなの?」って考えちゃうもの。

どうか運命を前向きに捉えて欲しい。

困難は自分を変えるチャンスだと思ってほしい。

この悲しみはいつかの喜びに繋がるんだと信じてほしい。

運命を嘆くのではなく、運命に感謝できる君であってほしい。

人生は全てをコントロールできないからこそ楽しい。

そうやって運命と上手く付き合っていってほしい。

と思う。

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コワラ
コワラ
家具職人
子供の笑顔に生きがいを感じる。 好きを仕事に。 会社員をしながら子供が喜ぶ家具やおもちゃを製作・販売して将来独立を目指しています。 子供の為に何ができるのかを日々考え、「子供が笑う」家作りや暮らしに遊びを取り入れるアイデアを発信しています!
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